乳がんの教科書

「ピンクリボン」ってそもそも何なの?

数年前から、ネットや街頭でよく目にするようになった「ピンクリボン」
女性に人気のファッションブランド「TSUMORI CHISATO」のテイストに似た
ピンクのリボンのシンボルマークでおなじみです。

 

乳がんの啓蒙キャンペーンの一種ということまでは分かっても、
「ピンクリボンと乳がんって何の関係があるの?」
と不思議に思っている方も多いことでしょう。

 

そもそもピンクリボンとは、乳がんの正しい知識を広め、
乳がん検診の早期受診を推進することを目的として行われている
世界規模の「乳がん啓発キャンペーン」です。

 

この「ピンクリボン」が日本で認知され始めたのは、
2000年代に入ってから。本当に、ごく最近のことなんですよね。

 

きっかけは、日本最大の「乳がん患者支援団体」である
「あけぼの会」が東京タワーをピンク色にライトアップしたこと。
(2000年10月)
ここから、ピンクリボン運動の規模は年々拡大していて、
協賛する企業や市民団体も増加の一途をたどってきました。

 

あのYahoo! JAPAN も提携していますので、
「そういえばYahooのサイトを開くとピンクリボンのバナーがよく出てくるな」
って気付いた方もいると思います。

 

ちなみに、日本でのピンクリボン運動の中心はNPO法人である
「J.POSH」(Japan Pink-ribbon of Smile and Happiness)。
関西医科大学の乳腺専門医である
田中完児先生をはじめとする発起人によって活動が開始されたそうです。

 

活動の詳細は、コチラのサイトが参考になるかと思います。

ピンクリボンの由来とは?

現在、日本人女性のうち、乳がんを発症する割合は
約20人に1人と言われています。
また、乳がんで死亡する女性の数は年間約1万人弱なのだとか!
決して、他人事ではない病気なのです。

 

こうした現状に危機感を抱く医療関係者や、乳がん経験者、
またはその家族の人々の強い“思い”から、
ピンクリボンキャンペーンは年を増すごとに拡大しています。

 

では、海外では一体どうなのか?というと…

 

実は日本よりも前からピンクリボン活動が活発だったのだとか!
そもそも、この「ピンクリボン」という言葉自体が、
日本ではなく海外で生まれた言葉なのです。

 

ピンクリボンの由来については諸説ありますが、
次の説が最も有力と言われています。

 

 

ピンクリボンの由来@
「乳がんについての研究が今ほど進んでいなかった1980年代 のアメリカ合衆国。
小さな町で、乳がんで死亡した女性の母親が、
この女性の娘である実孫に、
“同じ悲しみを繰り返さないように”と願いを込めて手渡したものが
ピンク色のリボンであったことに端を発する。

 

この行為が、乳がんの恐ろしさと、
乳がんについて考えるきっかけを人々に広め、その後、“草の根的”な
活動によってアメリカ全土のみならずヨーロッパ 、
アジア など全世界に広まった」

 

他にもある!ピンクリボンの由来

実は、ピンクリボンの由来には他にも次のような説があります。
よく耳にするのは前述の説ですが、
実際のところはどうやらこちらの説が正しいよう。

 

どちらにしても、心を揺さぶられる話です。

 

ピンクリボンの由来A
1970年代 にリリースされた
“タイ・ア・イエローリボン・ラウンド・ジ・オール・オーク・ツリー”
という曲にちなんで、兵士である夫をイラクで人質にとられた女性が、
夫の無事の帰還を祈って黄色いリボンを木に結んだ。
これが周りの人々にも波及してリボンが
“メッセージを伝えるための道具”
としてアメリカ中に認知されるようになる。

 

やがて1990年代 に入ると、エイズの活動家たちが、
黄色いリボンにならって“レッドリボン”(赤いリボン)を
活動のシンボルとして使いはじめた。

 

そしてさらに、これを見た各種慈善事業団体も
シンボルマークとしてリボンを使うようになっていった。

 

その一つ、「スーザン・G・コーメン乳がん基金」は、
1991年の秋のイベントに参加した人にピンク色のリボンを配布した。

 

 

ピンクリボンの由来B
女性向け健康雑誌『SELF』の編集長アレクサンドラ・ペニーは、
1992年の初頭、「乳がん意識向上月間」の特集企画を検討する中で、
化粧品会社エスティ ローダー社の副社長エヴリン ローダーに協力を要請した。

 

2人は、
「リボンを作ってニューヨークの店舗で配布したらどうだろう」
と思いついたものの、色の調整に難航していた。

 

そんな時、国立がん研究所の予算の使い道について抗議する運動を展開していた
シャーロット・ヘイリーという女性が、
議員たちへの抗議の気持ちを表す手段として
ピーチ色のリボンを身に付けることを考案。

 

これにヒントを得た2人は、
「ピンク色」のリボンを「乳がんの意識向上の国際的シンボル」として
採用することを決意する。

 

その後エヴリン ローダーが1993年に「乳がん研究基金」を設立し、
ここからピンクリボン運動が広まっていった。